ゲームを採点する行為はゲームの楽しみ方のひとつだと思ってる

いくつか楽しく読んでいる漫画があるのだが、そのうちのひとつにワイン漫画である「ソムリエール」がある。
その最新刊に気を惹かれる言葉があった。

新年一発目の今日はそこから。

 
 上のシーンとは関係ない



■バッハとモーツアルトを点数評価することに意味があるのか?
「ワインを点数評価していこう。それこそ、一般の人に分かりやすくワインの持つ本当の価値を伝える正義の行為だ」
と言う、音楽評論家でワインについても詳しい先生の誘いに対して主人公の父親が返したのが、ヘッダの言葉。

ワインは嗜好品であり、個人の好みが大きく左右するものだ。
それに対して、絶対的な基準があるかのように批評してしまうのは、その性質にそぐわない。
と言った、意味を持つ言葉である。

これはそっくりそのままゲームに対しても当てはまる。
ゲームも嗜好品なので、何をしてそのゲームを楽しいと感じるかは、プレイした人それぞれに由来するからだ。



■ゲームを採点すると言うこと
ゲームを点数で評価することは可能だ。
これは「おもしろかったか」を100段階で表現するのではなく、幾つかの細かな要素毎に加点方式で評価する事で可能になる。

例えば、

・スタビリティ(最大20点)
 ゲームシステムの安定性や動作の軽快さは適切か?

・UI設計(最大10点)
 キーバインドなどは適切か、必要な調整は可能か?

・ストーリー、キャラクター(最大20点)
 世界観やキャラクターは魅力的であるか?

・グラフィック(最大15点)
 ゲームの映像表現の巧みさ

サウンド(最大15点)
 BGMや効果音、キャラクターボイスの出来映え

・ゲームシステム(最大20点)
 ゲームそのものの持つゲーム性は適切であるか?

みたいな基準で分析していけば、そこそこ正確な評価ができる。
基準となる点をどこに置くかをしっかり定める必要はあるが、年間数十本プレイしている人なら、それほど難しいことではないはずだ。

ただこの様な合算形式で作られた最終得点を「比較」することには、実際の所、意味がない。
これは評価対象となるゲームが、それぞれ異なったものであるからだ。

具体例を示すなら、「Batman: Arkham City」の92点と「Skyrim」の95点を比較して、Skyrimの方がおもしろいって訳ではない。
どちらも(採点時において)非常に優れたゲームであったという意味でしかないのだ。

つまり、「ゲームを点数評価することは、(レビュアーにある程度のスキルが必要ではあるが)十分に可能」である反面、「ゲームを他のゲームと点数で比較することにはほとんど意味がない」という結論になる。



■「ちょっと待てよ。60点のゲームと80点のゲームなら流石に違うだろう!」
って意見が当然出てくる。

これは「経験的に実際そうであることが多い」ので傾向としては正しい認識だ。
ただしそれすらユーザーの嗜好バイアスを無視した点数なのには変わらない。

一人称視点で人を撃ち殺す事におもしろさを見いだせない人にとって「Call of Duty®: Black Ops」には82点の価値はないだろうし、
女の子との三角関係に悩む展開に興味そそそられない人に「White Album 2」の97点はむなしいだろう。
この様に、個々の好みを度外視した採点にはかなりの限界と制限がある。

流石にクソゲーレベルのゲームを擁護するのは極端な意見になるが、「80点に達しない程度のゲームが、あるプレイヤーにとっては90点を超えるゲームより楽しめた」なんて事はざらに起こりうる。
これはジャンル違いとか言う、「せこい例」以外でも実際に起こりうる事だ。

つまり、「世の中の評価」と「自分がどう思うか」というものには、ある程度の相関性があるが、最終的な評価は自分がプレイして見なくては分からないと言う事である。



■まとめ
点数評価は「世の中がどう思っているか」を知る為に重要な要素で、ゲームを購入する際には参考にする価値がある。
ただし、それらの点はゲームの優劣を定める様なものではない。

ましてやゲームのおもしろさの基準点は、時代と共に変遷していく。
これは、TES4の94点とTES5の95点を見れば分かりやすい。
あれだけハッキリと完成度に差があるゲームでも、たった1点の差しか付かないような、壊れた評価システム、それがメタスコアなのだ。

ちなみに私は「(単純に自分が)おもしろかったかどうか?」での4段階評価をしている。
「メタスコアが100段階だったとして、主観で捉える際には4段階程度の分解能で丸められている」ってのがその理由である。